BOX 〜前向きな挑戦

向き不向きよりも前向き!!

故郷②〜迷い

そもそも僕は何がしたいの?


仕事というものを考えるといつもそうなる。


自分は何なのか、何に興味があるのか、それが仕事にどう繋がるのか。

本音を言えば、自転車に乗りたい、ギターを弾きたい、ボクシングをやりたい、海外でゆっくり暮らしたい

だがそれでは生活していくことはできない。

ツールドフランスで活躍するようなパフォーマンス、観客を魅了するような音楽センス、世界チャンピオンのような強さ、海外の現地民を差し置いてまで採用されるようなスキル、

それらが僕にはない。

 


それでも一応、仕事探しはするが、なかなかパッとこない。

求人数が多いということで都会で仕事を探しているが、また都会で暮らしたいとは思わない。

もし仮に受かったとしても、素直に喜べないだろう。

それどころか、辞退する。そんな気がするほどだ。


そう思った理由は、都会に住んでいた頃は、楽しみがあるようで、何も楽しみがなかった。

土日の楽しみといえばボクシングぐらいで、何もなかった。いや、作ろうと思えば作れたのかもしれない、だが、自然が好きな僕にとってはビルに囲まれた人混み多い街を歩くのも苦痛に感じていた。

いつまでこの生活が続くんだろうなー

その当時は勤めていた会社の業績悪化も重なり生活も大変で、常にそう思っていた。もしお金があったらまた感じ方は変わっていたかもしれないが、本当に不安しかなかった。

ただ、安心したかった。


そして、理由は違えど再度、不安が僕に押し寄せている。

不安が募り、ふと実家のおばあちゃんを訪ねた。

「おばちゃーん」

おばあちゃんは僕の呼び声に気づき、快く迎えてくれた。

故郷①〜鎖から放たれた日

鎖に繋がれて飼われる人生と、自由の代わりに保証が無くなる人生はどちらがいいだろう。


規則があったり、自由に外出できないけど、毎日三食出でてきて、光熱費が無料

こんな社宅いかがですか?

なんて言われたら、魅力的に感じる人も少なからずいるだろう。

実際、僕もそうだった。


しかし、一旦そこに縛られた生活を経験すれば、今度は逆に、いかに自由が素晴らしいかを感じる。

そう、結局ないものねだり

隣の芝は青く見えるのだ。


僕はこの2年間、飼われた人生だった。

しかし、色んな訳があり、自分から鎖を外すことになった。


そして今、、、


「あぁー、今日はどうすっかな、、、」

時刻は午前10時

僕の1日はだいたいこのぐらいの時間に始まる。

「やりたい仕事ってなんだろうなー、、、うゎ、また書類で落ちてる」

そう言いながらスマホを眺めてはまた求人票と睨めっこの日々だ。

こうやって毎日転職のことを考えていると自分はどうしたいのかがわからなくなり、たまに、

どうにでもなれ

と、投げ出して1日寝る日もあった。

「オレって価値ない人間なのかな、、、」

ふとそう思う。

スキルがあるとすれば、他の人より少し英語が話せるぐらい、でも、本職が通訳の人と比べるとかなりの差があると思う。

そういうレベル。

あとは体力に自信がある、が、これはスキルなのか??

そしてなんて言っても、三十路手前のこの年齢。

言い訳はしたくないが、やっぱり年齢は影響するなと感じる。

そうして生きてきたからなんか自分に自信が無くなる日々が続いていた。

のんびりいこうぜ

仕事でしばらく海外にいた

オーストラリアだ

この国に来てびっくりしたことがある。

みんな仕事を終えるのが早い。

だいたい15時ぐらいには仕事を終えて帰宅しているように感じた。

お店も閉まるのが早い。

ほとんどのお店は19 時ぐらいには閉まる。

だからその前に買い物をすませないといけない。

そして朝が早い。

日本にいるときはだいたい職場には毎日10時間ほどいた。

特にやることがなくても早く来て待っていなくてはならない。

僕はこの職場の文化が本当に嫌いだった。

仕事をする時間、プライベートの時間

こんなにもハッキリしていて楽しめたのは初めてだった。

余暇があると食事もお酒も空気も、全てが美味しく感じられ、活気が湧いてくる。

そしてオーストラリアの自然に囲まれるとそれだけで癒された。

あぁ、そうか、僕はのんびり自然と調和した日々を過ごしたい。

日本に帰ったらそんな場所を追い求めよう

あせらず、のんびりいこうぜ

そう思わせてくれた国であった。

そんな神様がいるもんか

先日シンガーソングライターの片平里奈さんの

“そんな神様がいるものか”

という歌を聞いた

歌詞が僕に凄く響いた

全部響いたが、その中でも特に響いたものがある。


「どれだけ嘘をつくの また隠し事をするの それって本当にしたいことなのかい」

「どれだけ払えばいいの いつか幸せになるの それが本当の愛だというのかい」

「どれだけすがればいいの また売り払えばいいの それって僕より大切なことかい」

「与えて忘れよう なけなしのお金を 撃ち倒してやる 助けてくれない汚い政治家のようさ」

「そんな神様が いるもんか もしいるなら信じるもんか」

「そんな天国が 本当にあるのか 生地獄を味わうような」 

片平里奈 そんな神様がいるもんか より引用


これらの歌詞を聞いた時、言語化はできなかったがすっと腑に落ちた

そして時間をかけて理由を考えてみる。

解釈は人それぞれだと思うが、僕はこう思う。

依存

本当に大切なものってなんだろうか。

それをこの歌では考えさせてくれる。

自分、恋人、宗教

自分の本意とは裏腹に嘘をつく

自分を犠牲にしてまで恋人に執拗に尽くす

大切な人よりも優先して宗教に依存する

そうやって第三者に依存をする

しかしどれだけ縋っても、尽くしても、自分に嘘をついても、見返りなんてない

まるで助けてくれない汚い政治家のようさ


だから自分に正直にいきたい

恋人だから大切にするのではなく、大切な人だから恋人になる

宗教は搾取するために存在するものではない

肩書きと言うものではなく、それらの本質を考えて生きていきたい。

もしそれで幸せになった人がいたとしても僕はこう思う

そんな神様がいるもんか

ところで君はハッピーかい?

やあ everyone 

今日も元気に日々を過ごしているかい?

悩み事や不安なんてない、健やかな日々をすごしているかい?

はい!一切悩みなんてなく幸せです!

そう自信をもって言える人はおめでとう!

でもそう言える人は少ないと思う。

生きていれば悩みや不安、色々あるよね。

それも悲しいほどたくさん。

でもそれらは絶対的な数値にすることなんてできないから、言ってみれば比べることもできない。

「あいつの幸せは100なのに、俺は0」

なんてことはできなくて、

むしろ他の誰かからみればあなたは幸せに映ってるかもしれない。

だから他人と比べてもそれらに意味はないと思う。

今思えば、僕は昔、よく他人と比べていたと思う。

いい学校にいきたいとか、みんなより成績がよくありたいとか。

それ自体は悪いことではないと思うが、極端な方向にいくと学歴コンプレックスであったり自己肯定感の低下だったり招くような気がした。

そしてそれには終わりはない。常に、周りは、周りは、と勝手に焦って嫉妬してる。

今考えればそんなことはどうでもいいように感じるんだなー。

なんかアホくさーって感じる。

理由を考えたとき、出た答えは、他人からちやほやされたり上に立つこと=幸せではない。と思った。

比べて比べて、あの人よりも自分は上だから安心。

そういうことが幸せだと思う人はそれでいい。

でも僕はそうじゃないなーって思う。

もちろん上を目指して自分を高めていくことは僕も好きだし、通訳したときももっと力をつけてみんなに貢献したいと思った。

しかしそれは他人より上にたちたいというわけではない。周りから凄いと思われたいわけではない。

だから突き詰めていくと、「比較」

っていうところに不安や悩みが生まれるのかなって思う。

 

もし君が、

「周りはオシャレに日々を楽しんでるけど、毎日の生活に彩りがなくてつまらなくて」

なんて言ったら、

「へいへい、起床時間や寝る時間、食べる時間、入浴する時間も決められていて、外出にも制限されて門限まである、オレのことをディスってんのかい?」

って全力で突っ込むよ

 

もし、

「職場環境が満足いきません」

なんて言ったら

「へいへい、ずっとパワハラされていて、そんなパワハラ野郎と仕事も生活も一緒に過ごさないといけない上に、残業代も出ない、さらに出張したら水虫になるような不衛生な浴場を使わないといけないオレをディスってんのかい?」

って前方2回転半はしながら突っ込むよ

 

不安に思うならそれでいーじゃん

だってそれは自分が変わらなきゃって感じているヒントだよ?

 

大丈夫、ガッツリ自分を信じればなんとかなるよ

よっしゃ!なんとかなるべ!

と自分信じれば割と色んなことがなんとかなるよ。

 

大事なことは自分と向き合うなんだ。

 

とろこで君はハッピーかい?

通訳という仕事

僕はたまに通訳の仕事をする。

メインの業務ではないが、ごく稀に通訳が必要な行事等で通訳として徴収される。今回は約2週間、薄汚いかまぼこハウスに収容されながら作業時な現場に赴いて通訳することになった。専門用語が飛び交う。

そんな中で通訳をする。

会議、会議、そしてまた会議。

気を休められる瞬間はあまりない。

あるとすれば会議が終わったあとのほんの10分ほどの休憩と、昼食時ぐらいだ。

確かKAT-○○Nの曲に、

ギリギリでいつも生きていたいから

なんてフレーズがあったな。

今回の仕事中は僕も常にギリギリであった。それでもやってこれたのは一緒に仕事をした通訳支援班の皆んながいたから。

一緒にペアを組んでいた人は通訳の仕事を何度も経験していたので専門用語などを会議のたびに教えてくれた。

また、通訳支援班の長の方も自分に気を使ってくれた。

ある日僕の通訳が少しばかり間違っていたため、ダメ出しをしてくる人がいた。

それを見たペアの人がその日の終礼のミーティングで、そのことを長に伝える。

それを聞いた長は凄く心配してくれた。

そしてすぐに行動に示す。

終礼のミーティングが終わるやいなや僕の勤務しているセクションの人にその話を持ちかけていた。

翌日、朝イチの会議にその通訳の長が観にきた。

僕は必死にブリーフィングをしている司会の言葉を通訳する。

途中で席に座っていた長の人の姿が居なくなっていることに気づいた。

大丈夫と思って帰ったのかな

そう思いながら、そのまま通訳を続ける。

そして終わったとき、立ち上がり後ろを振り向くと、長がいた。

「お疲れさま。大丈夫。ちゃんと意味は伝わってるよ。表現で難しいところもあるけどちゃんと相手もそれは理解してつたわってる。」

ちゃんと最後まで観ていてくれていたんだな。

なぜか長の言葉を聞いて涙腺を刺激された。

そしてアドバイスも添えてくれた。

「ここの表現なんだけどね、オレがあげた資料の説明が悪くて混乱させてしまったかもしれないんだけど…」

この時、気づくものがあった。

こんな指導者になりたい。

通訳支援班の長とはこのままこの組織にいればまた会うであろう。

緊張感のある場面でのお偉いさんの通訳はプレッシャーがかかる。

だがそれでもこの長とは一緒に仕事がしたい。

何とかして手を貸して手伝いたい。

そう思う。


変な虫がでたり衛生面に不安がある劣悪なかまぼこハウスでの生活は大変である。

期間中に指定された浴場を使ったら水虫になった。

給料が変わるわけでもない。

だがそれでも、一緒に仕事をした人たちと成し遂げたことの満足感はそれを超越していた。

長の人は僕を表彰受賞者に選んでくれて、僕はアメリカ側からメダルをもらった。

通訳を通じて学んだとこは英語だけではなく、大切なことを学んだ。

そして水虫はすぐには治らないことになってから気づいた。

そんな時間であった。

 

自転車に取り憑かれた日

僕は自転車が好きだ。

ロードバイクで遠くまで、早く、風を斬るように走る。汗をかいて息を切らしながら山を登る。


ロードバイクを始めたきっかけは久しぶりに連絡をとった中学生時代の友達だった。

当時はコロナ禍で会社が休業になっていた時だった。

仕事がなくなり時間だけは有り余っていた。

そんな時、久しぶりに中学生の頃仲が良かったあいつはどうしているだろうか。

唐突にそう思い、躊躇なく連絡した。

彼は人生の過渡期というべきか、もがきながらとも頑張ろうとしている時期だった。

話をしていき、そんな彼の好きなこと、それがロードバイクだった。

そこから話を聞いていて興味をもち、咄嗟にGoogleで調べてみる。

え?こんなに高いの!?

そこには僕が知っている自転車とは桁が違う金額の数字が並んでいた。

自転車にこんなにはらえねーよ

素直にそう思った。

だが彼の自転車の話を聞いてるうちに、

そんなに自転車が楽しいのか、

と思わせられた。

それからYouTubeでロードレースを見てみたりしていた。

そんなある日、ロードバイクで検索していたらあるアニメが目に入った。


弱虫ペダル


自転車のマンガかぁ…

amazon primeで視聴することができたので見てみることに。

大丈夫。仕事がなくなりほぼ無職状態の僕には時間だけは有り余っていた。


そして気づいた時には、寝るのも忘れて見入っていた。

僕もロードバイクに乗りたい。

気持ちはそんな気持ちでいっぱいになっていた。


そして、ロードバイクをネットで調べたりお店に行ったりして、本格的に購入するために動き出した。


アニメを観てから早数週間、

僕はロードバイクを手に入れた。

中古のBianchi

デザインに一目惚れした。

今でも乗っている。

本当に中古で買ったのによく持ってくれている。


乗ってみて思うこと。

本当に軽い。何だこの乗り物は。風を切るこの感覚。

本当にどこまでも行ける気がした。


それから僕は取り憑かれたように自転車に乗った。

本当にいいものに出会えた。

これは僕の自転車の物語よほんの一コマに過ぎない。

今後も記事にしていきたいと思う。

自転車って本当に楽しい。

ただそれを伝えたい。