僕はたまに通訳の仕事をする。
メインの業務ではないが、ごく稀に通訳が必要な行事等で通訳として徴収される。今回は約2週間、薄汚いかまぼこハウスに収容されながら作業時な現場に赴いて通訳することになった。専門用語が飛び交う。
そんな中で通訳をする。
会議、会議、そしてまた会議。
気を休められる瞬間はあまりない。
あるとすれば会議が終わったあとのほんの10分ほどの休憩と、昼食時ぐらいだ。
確かKAT-○○Nの曲に、
ギリギリでいつも生きていたいから
なんてフレーズがあったな。
今回の仕事中は僕も常にギリギリであった。それでもやってこれたのは一緒に仕事をした通訳支援班の皆んながいたから。
一緒にペアを組んでいた人は通訳の仕事を何度も経験していたので専門用語などを会議のたびに教えてくれた。
また、通訳支援班の長の方も自分に気を使ってくれた。
ある日僕の通訳が少しばかり間違っていたため、ダメ出しをしてくる人がいた。
それを見たペアの人がその日の終礼のミーティングで、そのことを長に伝える。
それを聞いた長は凄く心配してくれた。
そしてすぐに行動に示す。
終礼のミーティングが終わるやいなや僕の勤務しているセクションの人にその話を持ちかけていた。
翌日、朝イチの会議にその通訳の長が観にきた。
僕は必死にブリーフィングをしている司会の言葉を通訳する。
途中で席に座っていた長の人の姿が居なくなっていることに気づいた。
大丈夫と思って帰ったのかな
そう思いながら、そのまま通訳を続ける。
そして終わったとき、立ち上がり後ろを振り向くと、長がいた。
「お疲れさま。大丈夫。ちゃんと意味は伝わってるよ。表現で難しいところもあるけどちゃんと相手もそれは理解してつたわってる。」
ちゃんと最後まで観ていてくれていたんだな。
なぜか長の言葉を聞いて涙腺を刺激された。
そしてアドバイスも添えてくれた。
「ここの表現なんだけどね、オレがあげた資料の説明が悪くて混乱させてしまったかもしれないんだけど…」
この時、気づくものがあった。
こんな指導者になりたい。
通訳支援班の長とはこのままこの組織にいればまた会うであろう。
緊張感のある場面でのお偉いさんの通訳はプレッシャーがかかる。
だがそれでもこの長とは一緒に仕事がしたい。
何とかして手を貸して手伝いたい。
そう思う。
変な虫がでたり衛生面に不安がある劣悪なかまぼこハウスでの生活は大変である。
期間中に指定された浴場を使ったら水虫になった。
給料が変わるわけでもない。
だがそれでも、一緒に仕事をした人たちと成し遂げたことの満足感はそれを超越していた。
長の人は僕を表彰受賞者に選んでくれて、僕はアメリカ側からメダルをもらった。
通訳を通じて学んだとこは英語だけではなく、大切なことを学んだ。
そして水虫はすぐには治らないことになってから気づいた。
そんな時間であった。